明智光秀が本能寺を襲撃する直前に、
紀伊雑賀衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治に宛てた書状が発見されました。
この書状には室町幕府再興を図る旨が記されていました。
◇発見された書状の現代語訳
◆本文
仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。
一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。
一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。
一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ、それがかないました。ご心配されることはありません。なお使者が口上で申すでしょう。
◆追伸=書状では冒頭にあり
なお、必ず(将軍の)ご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です。詳細は上意(将軍)からご命じになられるということです。委細につきましては(私からは)申し上げられません。
訳・藤田教授
当時の雑賀衆は信長に追放された15代将軍・足利義昭を匿っており、
明智光秀は信長と義昭と、双方に家臣として仕えていたらしいです。
二重スパイみたいなものなんですかね。
今まで明智光秀が本能寺の変を起こした動機は様々に解釈されてきましたが、
この書状が室町幕府再興の為だったという決定的な証拠となります。
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