ジェシカ・デュブロフの墜落事故は、1996年4月11日にワイオミング州シャイアンで発生。
当時8歳だったジェシカは、小型飛行機(セスナ)でアメリカ合衆国を横断する最年少記録に挑戦しようとしていました。
ギネスブックにはかつて、飛行機でアメリカ合衆国横断をする最年少記録が載っていましたが、
子どもに危険な事をさせるのを憂慮したギネス社がそれらの記録を抹消。
以降、最年少記録は載せない方針になっています。
それでも子どもに最年少記録を達成させる親が現われています。
それはマスコミが取り上げ、成功すれば大金が入るから。
父親は投資に失敗し、金に困っていたようです。
子どもが操縦と言っても、実際にはフライトインストラクターが操縦し、
当人は副操縦士となっていたようです。
アメリカの法律で子どもは飛行士免許が取れないので。
墜落事故は悪天候を無理に飛んで起こりました。
機体は高度が上がらず、右に傾いて墜落。
ジェシカは死亡しました。
同乗していた、フライトインストラクターと父親も死亡。
住宅地に墜ちたものの、大通りだったので住民の犠牲者はいません。
空港の管制官は中止を要請したそうですが、父親は聞き入れなかったようです。
管制官の要精には法的拘束力はないので、聞かない人を止められません。
事故機にはフライトレコーダーの搭載義務はなかったので詳しい事故原因は不明です。
墜落の実際の原因はジェシカではなく、離陸後に一連のエラーを犯したフライトインストラクターにあったとされています。
事故調査委員会は悪天候で離陸を断行したフライトインストラクターが、空間識失調になったと結論づけています。
ただし父親が機内に持ち込んだ大量グッズも要因です。
次の目的地で売る予定でした。
最大許容離陸重量が40kgオーバーしていたようです。
このせいで揚力が足りず、高度が上がらず、
前方の雷雲を回避しようとして右旋回をしたせいで、
失速寸前だった機体の揚力がなくなった、とのこと。
この事故の結果「子供パイロットが飛行機の操縦桿を操作することを禁止する法律」が制定されました。
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