ぼくたちの洗脳社会

ぼくたちの洗脳社会は、オタキングこと岡田斗司夫が20年前に今日の状況を「予言」した書とされている。
この本は全文が無料公開されている。
ぼくたちの洗脳社会
一応、文庫本もあるけど読むだけなら無料公開版で十分。

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)
アルビン・トフラーの有名な本「第三の波(The Third Wave)」を下敷きに、
トフラーの着眼を受け継ぎつつもトフラーの未来予測は否定し(安直なので)、
トフラーの着眼を活かしてそのまま未来に敷衍するとどういう社会になるかを予測してる。
その予測の下敷きにしてるのが堺屋太一の「知価革命――工業社会が終わる 知価社会が始まる」。
この本もトフラーを引きつつも、これからの商売に大切なのは知的価値だと主張している。
重要なのは、価値観の変化が起きることで、
それは「豊かなものをたくさん使うことはかっこ良く、不足しているものを大切にすることは美しい」という法則が背後にある。
この法則を踏まえると、豊かなものと不足しているものを見極めれば、
次の時代がどうなるかを予測可能となる(と岡田斗司夫は主張している)。

しかし堺屋太一の未来予測もまた安直なもので、
岡田斗司夫を納得させるには至らなかったらしい。

ここで中世ヨーロッパや中国を引き合いに出して、
中世は時間があまりあり、物が不足していた時代だとして、
物欲に縛られずに世捨て人のように貧者や宗教家として暮らす人が尊敬されていたと言ってる。
また古代人が確立した等価交換の原則も、中世で崩れたと言ってる。
これが正しいかは知らないので判断しようがない。

でも堺屋太一の言う法則が正しいなら、不足している物を大切にする人が尊敬されるんじゃないの?
物欲に縛られない人が尊敬されるってのは、堺屋太一の言う法則とは別の価値基準で尊敬されてたんじゃないの?
そして次の社会変化は中世と同様の「物不足、時間あまり」という時代になると言ってるけど、物余りじゃないの?

次の時代がなぜ物不足になるのかはよくわからないし、何の説明もない。
ただし、中世との違いは「情報あまり」にもなるってこと。

この情報あまりの時代では、情報自体よりも情報の解釈がより流通すると言っている。
これを洗脳と言ってる。
そして情報革命で、自由洗脳社会になるとも言ってる。

でも、洗脳ってのはその価値観以外の価値観との接触を禁止するのが基本なわけで、
情報革命で容易に様々な価値観に触れることができるのだから、洗脳は難しくなると思うのだけど……。

第二次世界大戦後のアメリカが、メディアを使って「正義の国」という洗脳をしたと言ってるのはその通りだとは思う。
でも実際にはメディアの影響力がどんどん無くなりつつあるわけで……。
洗脳が不可能とか、かなり困難になる時代になると思うんだよね。

あと自由経済社会は大半の人は消費者だったことから類推して、
自由洗脳社会は大半の人は非洗脳者になると言ってるけど、
自由経済社会ってのは生産手段に手軽にアクセス出来る社会ではなかったのに対して、
自由洗脳社会は誰もが手軽に情報発信可能なのだから、
この2つを類似のものと捉えるのは間違っている。

自由洗脳社会によって、価値観が異なる状況をころころ切り替える生き方が主流になり、
一貫した価値観で生きるのは不可能ってのはわからなくないけど、
この一貫性を「近代自我」と呼んでいるのは違うと思う。

洗脳社会と言いつつ、そのモデルにしているのはパソコン通信で
同じ価値観の人が掲示板を読み書きする状況にすぎないらしい。
そして、異なる話題については異なる「板」を読み書きすることで価値観を使い分ける状況を、そのまま社会全体に当てはめてる。

結局、これもしょぼい未来像だと思うのだけど。

トフラーについては高度消費社会をそのまま未来に当てはめていると批判的なのに、
パソコン通信の状況をそのまま未来に当てはめるのはOKという理由がわからない。
洗脳という語を広い意味に使っているようだし、
もっとおどろおどろしいものを想像していたのとは違った。

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