フランス革命後のルイ17世はどうなったのか

フランス革命後、当時4歳だったルイ17世は6年後の10歳時に虐待死してます。

革命当初は穏健な扱いを受けていたようです。
とは言え、タンプル塔に王族一家は幽閉されていて、
その庭で寛ぐ事が許されていた程度ですが。

恐怖政治が広まった7歳頃に、
初めは「良き市民」となる為の「再教育」として、
王室を罵倒させたり、革命歌を歌うよう強要されてました。

しかし徐々に虐待が始まったそうです。

無理矢理酒を飲ませたり、ギロチンで殺すと脅したり、
ルイ17世を使用人として雇用していたシモンは、
ルイ17世への暴行を日常的に行っていたとパリ・コミューンのルブーフが告発。

しかしルブーフ自身も脅されるようになり、パリから逃亡。

使用人のシモンが虐待していたのは、ただの創作という説があるようですが、
だったらなぜそれを告発したルブーフが逃亡したのか、よくわからないですね。

一方、母のマリー・アントワネットを処刑したかった反王党派のエベールとショーメットは、
ルイ17世に自慰を強要し、それを母と姉のマリー・テレーズ、叔母のエリザベートに見せるようにし、
母と姉はそれを見て楽しんだとされています。
もちろん、楽しむよう強要されての事です。
これを根拠に一家に性的虐待の容疑がかかり、
マリー・アントワネットは処刑されます。

次にルイ17世を洗脳後、母や姉がやってた密書の送り方を証言させ、
この証言のせいでエリザベートも処刑されます。

ルイ17世は鉄格子のある食堂に監禁され、
毎日2回の食事としてパンとスープのみを与えられ、
トイレもないので、部屋の隅で排泄しっぱなしとなり、
風呂にも入れずに汚れたままになり、
日に当たらないのでクル病になって自力で歩けなくなったそうです。

その後、パリ・コミューンの派閥争いに負けたエベールとショーメットは処刑され、
ロベスピエールとその配下のシモンも処刑されます。

そしてジャコバン派の旧貴族ポール・バラスに保護され、
ルイ17世の待遇は改善します。
しかし衰弱は激しく、体調は回復せず、その約1年後に死亡します。
解剖の結果、死因は結核とされています。
また、膝と手首、様々な内臓から腫瘍が見つかってます。
胃の中には腐臭のする液体が溜まり、
腸は腹壁に癒着していたそうです。
確実に虐待の痕跡ですね。

ルイ17世は当時から「既に国外へ逃亡済み」という噂があり、
タンプル塔から発見された少年は替え玉と疑われていました。
しかし2004年にこの少年の心臓とされている遺物と、
マリー・アントワネットの遺髪とをDNA検査したところ、
肉親との判定になり、やはりこの少年はルイ17世だったと確定しました。

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